2011年11月26日土曜日

スペースALS-Dでの公演

ダンス?演劇? 牛乳の膜が繰り広げる不思議な夢のものがたり
「タッチング・フェイス」上演&トーク

この作品は、出演者の牛若孝治が見た夢を小説にして書くという作業を通じて、その小説を切り貼りして演劇風にしたものです。
「牛乳を温める」という、何気ない日常生活の行為。その牛乳を温めすぎて、「膜が張ってしまった」というのも、ごく日常的なこと。そこから繰り広げられる数々の「非日常的な事柄」を、身体表現で表した、およそダンスらしくない不思議な作品です。「嫌いな牛乳の膜」とどのように付き合うかが見もの。普段は視覚に頼っている日常生活のあれこれを、「身体感覚」という面から感覚を捉えなおす魅力的な作品です。
子供から大人まで、年齢、性別、国籍など、あらゆるしがらみにとらわれることなく、楽しんでいただけると思います。

日時:20111211() 13:30開場、14:00開演
会場:スペースALS-D 〒603-8225 京都市北区紫野南舟岡町38-23
アクセス
○京都市バス(6,46,59,206系統)「千本鞍馬口」下車、東へ徒歩5
○駐車場・駐輪場はございません。
料金:大人1000円、18歳まで500円(乳幼児無料)、介助者は同額です。

●上演作品
「タッチング・フェイス」(2010年エイブルアート・オンステージにて上演)
「タッチング・フェイス ――なぞの膜男」
テキスト:牛若孝治、出演:牛若孝治、伴戸千雅子(上演時間は約1時間)
●トーク「視覚にたよらない作品とは?」
作品の創作過程などを紹介し、作品の感想や意見交換をしたいと思います。

予約・お問い合わせ
baab@tcn.zaq.ne.jp09036501353(ばんど)
主催:ロクの会
協力 Dance&People

プロフィール
牛若孝治(うしわかこうじ)
視覚障碍がある。10年以上、鍼灸マッサージ師として、あちこちの鍼灸院に勤務した後、2006年、立命館大学産業社会学部に入学、20103月卒業、現在、同大学大学院応用人間科学研究科修師過程在学。私は「侍精神」が大嫌いなので、この「師」を使用している。だから、これは誤字ではない。眼で見たことをそのまま体で表現するのではなく、体からわき上がってくる感覚を大事にして、ひとつの作品を作りたい。
伴戸千雅子(ばんどちかこ)
演劇、バリダンスを経て、舞踏を始める。98年からはダンスグループ「花嵐」のメンバーとして京都を拠点に活動する。近年は視覚障害を持つ人とのダンス作品の創作やワークショップを行い、07年に一児の母となってからは、子連れで参加できるストレッチ会などを開き、身体を通して出会う「場づくり」に力を注ぐ。

ロクの会
人間の情報の約80パーセントは、「視覚に頼っている」と言われている。ダンスや演劇・絵画など、作品を製作、観賞する場合、「視覚」が優位に作用しているが、実際はすべての感覚を総動員しているはず。この会は、牛若孝治の提案により〈視覚に特化しないこと〉をテーマに、舞台作品の創作・上演や、大学、専門学校でのワークショップ、プレゼンテーションを行うなどの活動をし、「〈視覚に特化しない〉とはどういうことか?」をより多くの人と共有し考え深めることを目指している。

第8回マンスリーダンスセッションのお知らせ

来週の土曜日です!! どうぞ、気軽にご参加下さい。
―マンスリーダンスセッション―
みる・きく・おどる どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ
ソロダンスタイム 由良部正美
DJ 白石哲
時間 午後4時~6時 (冬時間に戻しました)
次回は12月3日

料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38-23
地図は
http://homepage3.nifty.com/spacealsd/alsmap.pdf
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部
 
11月のリーラ、黒子さんをゲストにお迎えして、実り多い時間だったと思います。私のブログに、その時の私なりの感想等書きましたので、興味ある方は、のぞいてください。
さて、12月のリーラですが、ずいぶんと寒くなってきたので、今まで、使っていたテラス部分を閉めて、屋内部分のスペースのみで、やろうと思っています。
かなり、スペースが狭くなるので、最近続けていたゲストを迎えることは、冬が終わってから、又再開できればと思っています。
そして、スペースが、ぐっと狭くなることもあり、今までと少しだけ、進め方を変えたいと思っています。
基本的なあり方は、変わらず、それぞれの方が、自由なあり方をしていただけるのですが、少し、私の方から、提案をしていこうと思っています。
例えば、ある時間を区切って、このようなイメージを持って下さいとか、このような、あり方でやってみようとか、だれでもできる事を、皆で共有する事もやってみたいのです。
勿論、どのように共有するかは、自由ですし、ひたすら、見ること、聞くことに徹する事も、自由です。
これから、どんどん寒くなっていきます。冬は、冬なりのの、引き締まった場、そして、からだとこころが温かくなる場にになればと思っています。
 
 

2011年11月8日火曜日

第7回マンスリーダンスセッションの感想

最近、本当に久しぶりの人と、会ったり、一緒に仕事する機会が多くあり、楽しい。
黒子さんとも久しぶりに一緒に踊り、約10年前のPHANTOMの曲も踊ったりしてみた。
作品を作っている時の煮詰まった時を、少し離れて、見えてくるものもあった。
私の踊りも黒子さんに触発されて、少し今までと違う部分があったように思う。

黒子さんが最近の自分の踊りの志向を言っていた事が興味深い。
「身体が一体として動くのではなく、例えば、手は手の、足は足の、口は口の、それぞれが、別の意志を持つように動いてみる。すると、それは内側がとても気持ち悪くなるのだけれど、その気持ち悪さがいい、思考が空っぽになるような気がする」
私は、とても解るような気がするし、黒子さんらしいと思う。そして、現代を生きる人が持っている身体の衝動のようにも思う。
例えば、自分の身体を一つの巨大都市のようにイメージしてみる。そして、都市のざわめきを聞くように、身体のざわめきを聞き、それを開放するように立ってみる。
すると、「私の身体」という統一感が崩れて、様々な情動、記憶、知覚が現れては、消え、ある種壮大な景色のようなものが感じられる。
私は、土方巽氏の「舞踏とは、命がけで突っ立った死体である」という、宣言は、このような感覚をつきつめて、でてきたものに思う。
これは、端的に言うと、死と物質への衝動だと思う。
勿論、自殺願望などではない。そうではなくて、普通私たちは死を私達の生の最後、今の私に無関係なものと感じているけれど、この身体のさらに奥、裏側に、まさに今死があり、それを感じたい、それと結びつきたいという衝動があるという事。生を裏打ちしているものがまさに死であるということ。身体を超えた身体、とでもいうものでしょうか。
物質というのも、いわゆる対象としての物質ではない。例えば、部屋の中で雨の音を聞いているとしよう。普通、そこで私たちは、雨でいやだなーとか、雨に対する様々な印象が現れる。しかし、そのような印象を離れ、自分と部屋、さらには建物、大地が一緒にこの雨を感じるようにイメージしてみると、思考が空っぽになっていくのが感じられる。物質というのは、この無差別性の事を言う。

このように、死と物質に接近していくダンス。これは、私にとっても、大切なテーマであり、大事な感覚だ。
しかしながら、舞踏にしても、現代舞踊にしても、少し無意識的に、そこに傾きすぎているのでは?というのが、実は、私の率直な思いだ。
この死と物質への衝動、景色に裏打ちされながらも、一挙に生の息吹が感じられるもの、様々な命を形成するエネルギーを感じ、感じさせるものが必要に思う。
それが、今求められてる気がするし、私の今求めているダンスだと思う。

2011年11月2日水曜日

第7回マンスリーダンスセッションのお知らせ

来週の土曜日です!! どうぞ、気軽にご参加下さい。
―マンスリーダンスセッション―
みる・きく・おどる どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ
ソロダンスタイム 由良部正美
DJ 白石哲
ゲスト 黒子沙菜恵 コンテンポラリーダンサー
時間 午後4時~6時 (以前の時間に戻しました)
次回は11月5

料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38-23
地図は
http://homepage3.nifty.com/spacealsd/alsmap.pdf
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部
 
次回で7回目を迎えるマンスリーダンスセッション。ほんと、回を重ねるごとに、濃い場になってきています。
最後に、私のソロの時などは、「さあ 私がソロをします!」と宣言しなくては、皆、自分の踊りに夢中で、どいてくれないぐらいです。
(別に、最後にソロで締めくくらなくてもとも思いはじめていますが。)
知らない人が見たら、かなり怪しい場と思うかもですが、安心してください。
何かを、暗黙に強制されるような感じではなく、それぞれが自由で居られる場ですから。
 
さて、次回ですが、ゲストとして、黒子沙菜恵さんが来てくれます。
黒子さんは、京都で女性のコンテンポラリーダンサーといえば、まず最初に名前があがるのではと思います。
私とも、2001年から2003年にかけて、「PHANTOM」という作を一緒に作り、大阪ダンスボックス、京都1928、京都芸術センターで一緒に踊りました。
(あー懐かしい。もう10年近く経っているのか。)
私の印象では、様々な断片を拾い集め、きれいなコラージュを作る人というイメージがあります。
ほんと、久しぶりに即興で一緒に踊れるので、とても楽しみです。
 

2011年10月31日月曜日

「たまごろも」公演終わる

一昨日、天気にも恵まれて、「たまごろも」の公演、良かったんじゃーないかしら。
永運院では、何回も踊ってきているけれど、デザイン(意図)と、即興性が、今までの中で、一番バランスが良かったかもしれない。
来てくれた人も、多くの人が喜んでくれた。(まあ、不評な人の声は、なかなか、入ってこないものだけど)
でも、やはり、永運院のお寺はいいなぁー。外の空間にも開かれていて、演者も、観客も、より大きいものに包まれているような場所。
風や、周囲の物音が排除されずに、柔らかに入ってくる。ヘリコプターの音や、拍子木の音まで、違和感なく、作品と、身体を通り過ぎる。最後、ダンサーが衣を持って、捧げるシーンで、能管の笛の音に、これ以上ないようなタイミングで、遠くで鐘の音が響いた時は。「うわーきたぁ」と心の中で叫んでしまった。
今回の、公演。 お寺、着物、琵琶、能管と、本当に「和」でした。
私の踊りの、和的な部分をあらためて、感じる機会にもなった。
呼吸、間、勢い、簡潔さ等など。

2011年10月22日土曜日

たまごろも

ダンス&ミュージック
  「たまごろも」


魂衣・・・ 人は何を纏うか。


土と水が風にひらかれ、
人の手から手へ
肌から肌へ
記憶から記憶へ
木霊となり、人をつつむ


公演日 2011年10月29日(土曜日)
       16時開場 16時30分開演
       終演後、小一時間、お客様と作品展覧、作者、舞い人との茶話会

会費    前売り 一般2500円 学生1500円
      当日  一般3000円 学生2000円 
      (会費の一部を東北の震災義援金にお送ります。)
場所   京都・永運院 本堂、方丈、庭 〒606-8331 京都市左京区黒谷町33
舞う人   森美香代、ハイディー S
ダーニング、由良部正美

音楽    片山旭星(筑前琵琶) 野中久美子(能管) 星野圭祐
チラシデザイン 相模友士郎    
写真撮影  吉村 勉  
美術    高橋裕博
会場設営その他  水谷米博 土肥真司 大亦康雄
主催   まるもっこ
共催   「PAN(パフォーミング・アーツ・ネットワーク)」

問い合わせ・申し込み  まるもっこtel090-8149-1638,fax 06-6692-2722
               メールアドレス 
pan_kyoto@hotmail.co.jp





2011年10月15日土曜日

久しぶりのダンスの観覧2

笠井叡 振付け 「血は特別なジュースだ」を見てから、京都芸術センターで、きたまり作・演出の
「ちっさいのん、おっきのん、ふっといのん」をみる。

3人の個性溢れるキャラクターが、今年の初めから交わしたブログでの言葉がテーマで、踊りながらしゃべる、しゃべりながら踊る。
音楽や物語のことばではなく、踊りながらしゃべるというのは、現代ダンスでは、けっして珍しいものではないけれど、一時間以上、ほぼ、それをテーマに繰り広げられ、あらためて、踊りと言葉について、考えさせられた。
私も、言葉と共に踊ることは多々あった。セリフをしゃべって踊ったり、何語かわからない言葉をしゃべりまくり踊ったり、客と言葉でからんだり、ミュージカルで歌ったこともあった。それに、特にしゃべったり、歌ったりしなくても、踊っているときに言葉は、常にあるし、日常の中でも生きている限り、途切れる事がない。もしかしたら、死んだ後も。
私達のからだの中に言葉はとても深く浸透しているので、踊りと言葉について、あらためて考えてみても、とても見通せない。
しかし、次の事は確かだと思う。
踊りと言葉、さらにはからだと言葉の関係の全体を見通すには、言葉のない状態、つまり沈黙の中に入る必要がある。ここで言う沈黙は、言葉の対極、反対語ではなく、言葉を超えたもの、又包んでいるものとして、使っているのだけれど。
しかし、「沈黙の中に入る」 といってみても、それができれば苦労はないわね!という事になる。
実際、私はこの沈黙の中に入った経験も実感もない。しかし、私の中にそれはないのかというと、そうではない。それは常にあるともいえる。

さて、一応それをおさえた上で、今日見た公演で感じた事を手がかりに、一歩ずつ、踊りと言葉について考えてみたいと思う。

きたまりの公演では、言葉を使うことが、新たな奥行き、ハーモニーを生み出す事よりも、むしろ、実際のブログでの言葉や自己紹介などの言葉で、舞台空間を壊す効果に使われていたと思う。まったく素の状態で話すシーンであったり、着替えを、半分見せるシーンでもよく表れている。
私も使うことがあるが、舞台空間で、踊るからだが話し始めることで、観客は、内的な特別席から素の状態、演者と一つの板の上に置かれる。舞台は、観客に、イメージ等を生み出す場であるが、同時に観客も、演者も身体を持ち、一つの厳然とした空間にいるという単純な事実を喚起される。

それと、アーティストにかぎらず、人は誰でも、内的志向性を持っているが、その中で、排除されるものがある。人は、誰でもこうあるべき、こうしたいという、願望、価値付け、判断等により、いわば、自我空間を持つけれど、それは常に脅かされているし、圧迫感がある。時にアーティストは、この内的志向性、自我空間を壊し、排除されたいわばノイズに関わる必要を感じる。そこは、様々な言葉、記憶、知覚、音の断片がものすごいスペードで飛び交っている場である。時に人はそのようなノイズ空間にいることで、奇妙な落ち着きと他者との一体感を感じる。そのノイズ空間は、我々が生きている現在の社会そのもののようにも感じる。

以上のような感じが、きたまりの公演だけでなく、笠井さんの公演の基底にあったように感じるし、現代芸術の多くにも通じていると思う。
勿論、それだけではなく、今日の公演の中では様々な面があったのだけれど、私は舞台批評をしたいわけではないので、舞台の印象から少し離れて、言葉とからだについて考えてみたいと思う。

いったい言葉は、どこまで深く私達のからだに、浸透しているのか。
私は、それは、どこまでも深く、私達の生=性の源までと断言してみたい。
一般に言葉は、人間の上部構造で、本能とは別のものと考えられている。フロイト派の心理学者等は、言葉は本能を抑圧するものととらえているし、ある人は、人間とは本能が壊れた存在と言っている。
一面、そのとうりだと思うし、確かに、言葉はなくても人は生存できるだろうから、生命にとって必要不可欠なものではない。
しかし、私は人が言葉を求めるのは、いわば、本能を超えた本能のように思える。
ここでいう、言葉とは、人の身振り、眼差し、行為も含んだ、刻々に言葉を創造する純粋なエネルギーの事をいう。それは、叡智とも、ロゴスともよばれている。
人は、生まれてから、両親や周りの人から、雨のような叡智をからだに浸透させてきた。 
人は、この雨のような叡智の養分なしに、人として立つ事ができない。
赤子は、乱雑な大人の無意識的言葉かけにも関わらず、驚異的な吸収力で叡智を見分け、からだに浸透させる。わずか、1歳半ほどの子供が、例えば「お母さんの」、「お父さんと」、「おじいちゃんも」、「おばあちゃんに」 などの複雑な助詞の使い分けができるようになる。
人は、生き方や知性がその人の相貌に微妙に浸透するように、この叡智も、からだに深く浸透する。
ここで、私は、ある本で読んだとても興味深い話をしたい。事あるごとに、もう色々な人にはなしたことだけれど、次のような話だ。
狼に育てられた、人の話が何件か報告されている。その報告を引用する形で、ある人が書いていた。

狼や動物にに育てられ、その後救出された中で、たとえば、3歳で救出された場合、5歳で救出された場合、10歳で救出された場合で、回復可能性、言語の取得可能性が、全然違う。そして、10歳前後で救出された場合、言語の再取得は不可能で、それだけでなく、性的能力がまったく萎縮してしまっているということ。これを、引用者はまったく私とは違う解釈をしていたが、私はこの話をとても興味深く思い、次のように解釈した。
すなわち、人は、世界にまったく開かれているある時期に叡智に浸透された言語を受け取る必要があり、本来、言葉は、人間の最も奥深く、生命の創造である、生殖力を目覚めさす事にまで及びと。そして又、性は人にとって、ただ単に本能の発露ではなく、叡智に浸透された言葉の開花でもあると。
このような解釈には、様々な反論の余地があるだろうし、そもそも、狼に育てられた子供という報告の信憑性には、疑問だと思う方もいると思うが、私は、言葉は、本当に人の生=性を目覚めさす源だと思っている。

さて、今私は、こうして窮屈に言葉を連ねているわけだが、ここで言う言葉は、世界に向けて差し出された手であり、器でもあり、又光でもあるもので、普通私たちがいう言葉は、その痕跡にしかすぎない。
例えば、「あー」という言葉と「おー」という言葉でただ単に、声を出すだけでなく、世界を受け取る器のようにも、世界に向けて放たれる光のようにもして、外に向けて発してみると、それぞれ、まったく違う世界が開示されるように感じられ、認識でもあり、創造でもあるなにかを感じると思う。

さて、私は言葉とからだについて、途中からかなり飛躍のある事を言っている事は、自覚しているし、ある予感めいた感覚で言っているのは確かだ。これらの事をすべて見通して、言っているのではない。本当に見通して言うためには、沈黙の場から語らなければならないだろう。

さて、最後にもう一度、踊りの場に戻して、言葉と身体の事を見てみたいと思う。
つづき。
(うーん、一気にここまで、書いたけれど、ここからが大変。書くべきことは見えているのだけれど、
言葉に定着させるのは、かなり苦痛。明日になるか、一年後になるかちょとわからない。でも、とても大事なこと)

2011年10月12日水曜日

久しぶりのダンス観覧 1

昨日は、久しぶりにダンスの公演を見に行きました。それも一日に二つも。
なんとなく、劇場空間にしばらく行かなかったのですが、やはり、そこは、不穏な空気が流れているところです。

笠井叡 振付け作品 「血は特別なジュースだ」
予想どうり、作品というより、笠井さんの独壇場。
20年ほど前から、折に触れ、笠井さんの踊りは、見ているけれど、基本的な印象は、変わらない。
驚くべき動きの正確さと、おもちゃ箱をひっくりかえしたような乱雑さ。
顔の筋肉を、手足と同じように常に動かし、内側からの発声力を四肢に伝え、波動を、劇場中に放射する。
劇場にただ一人、不敵に立ち、鏡の中の自己の像のように、観客一人一人を射抜いているような眼。
時間の中で開花するようなものはなく、生成されたエネルギー、フォルムは瞬時に捨てられ、なにかと闘っているようにも、逃れているようにもみえる。

しかし、今回というよりも、笠井さんの踊りを見てきて、じょじょに、エネルギーやフォルムが瞬間に形成される力が後退し、なにか、不定形な情動のようなものがでてきているように感じる。
劇場宇宙の中で、屹立するような意志が、なにかに呑みまれていっているようにも感じるのだけれど、笠井さん自身は、そのように感じているのだろうか。笠井さんは、何処に向かっていこうとしているのだろうか。
私は、少し不安なものを感じる。

笠井さんの踊りを見ていて、舞台上での他のダンサーとの共演をほとんど不可能に感じるし、舞台作品として見る事も不可能に感じる。
笠井さんは、舞台で観客を鏡として、対峙しているように感じる。鏡が映す像や、イメージに囚われる事を嫌い、鏡に切りつけ、振り切り、見返し、破壊する。そのような中では、舞台上での他者の身体も一つの鏡の像にすぎない。
しかし、笠井さんは、そのよう事を、踊りを始めて以来、ほとんどずーと続けてきている。
驚くべき、執拗さ、情熱だ。
過去、笠井さんの踊りを見てきて、時々、鏡をつき抜け、雲ひとつない青空で、大地で、無心に踊る無垢で、無名のからだを目撃したようにも記憶する。

2011年9月27日火曜日

第6回マンスリーダンスセッション


次の土曜日です!! どうぞ、気軽にご参加下さい。
―マンスリーダンスセッション―
みる・きく・おどる どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ
ソロダンスタイム 由良部正美
DJ 白石哲
ゲスト 澤野祥三 (ギタリスト)
時間 午後5時~7時 (以前と時間が変わっています。)
次回は10月1

料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38-23
地図は
http://homepage3.nifty.com/spacealsd/alsmap.pdf
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部
 
先月のリーラ、台風直撃の夜でした。さすがに参加者は少なかったけれど、濃密な場であったと思います。
今年は大震災、津波、台風と本当に天災が多い年です。
勿論、大変な災害ではありますが、一面、天災は、私達の断片化した日常をおくっている意識を一つにし、なにか広大で、計り知れないものを感じさせる契機にもなります。
私達が、自然の一部、否、自然そのものであるという予感に導きます。
私は、本当の危機は、むしろ、日常の連続性の中にあるような気がします。
先日、野田総理が、国連で、原発の海外輸出の継続を発表しました。
いったい、未だ進行中の福島の原発の危機を前にして、どうしてそんな事が言えるのか、本当に不思議です。
しかし、私は、野田総理個人をそれほど非難したいとは思いません。
結局、政治家は、私達一人一人の、日常性の継続に対する要求の中でしか、動けないのかもしれません。
彼自身はその様な要求の中では、真摯な人なのかもしれません。
日清、日露の戦争の成功体験の延長線で、どこまでも、軍事的勝利が続くと思い、戦後の経済成長の中、土地はいつまでも上ると信じて、バブルに突っ込み、何十万年もの間、核廃棄物を処理できない事を知りながら、原発を作り続けてきた私達。
今、考えれば、普通の知性がある人ならば、馬鹿だなと思うことなのに、一級の知性の持ち主達がわからないなんて!
でも、結局は、私達の知性とは、そんなものなのでしょう。
私達の知性は、部分的には、大変な鋭さ、熱心さ、真摯さをもって働くのに、私達の日常を継続しているものに対して、その全体、根底にたいする理解にはほとんど役に立たないようです。
多分、私達の知性そのものが、私達の日常の継続性の道具、否、日常の継続性をまさに作っている当の者なのだからでしょう。
盲点のように、それが、それ自身を見ることができないからなのでしょう。
私には、この日常の連続性の中の危機にはどんな処方箋もないような気がします。
ただ、私たち、一人一人がその危機を見ることによる以外!
いったい何が日々の連続する「わたし」をつくっているのか。
どうして、私達は、断片化した「わたし」の孤立と、闘争の連続なのか。
どんな、できあいの処方箋、知性では解けない問いが私たちに投げかけられているように思います。
 
すみません。また、偉そうな事を言いました。だらけた日々をおくっている私ですが、時々、大変な危機感と、ある種の悲しみのようなものを感じて、
このような事を書きたくなります。
さて、先月のリーラ、各人が各様のあり方をしていました。ある人は、ずっと床に寝転んで、風雨をからだに感じて、床に眼をつけ、空間を覗き込んでいました。
終わった後、その方が、この場は、そのようなことが許されていると感じたからと言っていて、私は嬉しく感じました。
ヤザキさんとのデュエット、迷いもありましたが、時々ピタッと、振付けのようにきまったり、お互いの空気を共有できる時があったりと、楽しく踊れました。
(YOU-TUBUに、この回のリーラの動画を7分ほどアップしました。興味のある方は、マンスリーダンスセッションで、検索を)
そして、今回のリーラですが、ゲストにギタリストの澤野祥三さんを招きました。彼は、「魚雷魚」「したっぱ親分」というバンドで、京都のライブシーンで活躍し、
ココペリのヘルパーでもあり、甲谷さんのサポートにも時々入っています。
実は、彼の音は私は、まだ聞いてないのですが、白石さんや、他の人から、幅広い感性の持ち主と聞いていて、かえって楽しみです。

2011年9月10日土曜日

2011年8月29日月曜日

第5回マンスリーダンスセッション


前回の第4回目のリーラ、今までと又違った感触がありました。身体と身体がある親和性を持つのと反対に、拡散していく力をより感じました。結んでいくより解いていく力、フォルムより素材、音楽より音、からだよりオブジェ、そんな感じであった様な気がしました。物質への郷愁とでもいいましょうか、やはり、私達のからだに奥深くある衝動の一つのようにも思います。
 
さて次回はダンサーのヤザキタケシさんをゲストに迎えました。ご存知の方も多いでしょうが、ヤザキさんは関西のコンテンポラリーダンスシーンを長くリードしてきて、上質のエンターテイメント性としっかりとしたコンセプトを持ったダンサーです。古くからの知り合いで、何度か共演もさせていただいた仲ですが、忙しい中、一緒にダンスセッションを遊んでくれる事になりました。久しぶりの彼とのセッション、本当に楽しみです。いつの間にか、お互いR50の年となりましたが、踊り、身体への知覚、眼差しは、より深まっていると思います。上質の酒のように、身体で蒸留された幻が、味わえると思います。

2011年8月26日金曜日

甲谷さんとの対話

2006年の春、甲谷さんとの病室での文字盤での対話。これ以降、会話が難しくなり、突っ込んだ対話はこれが、最後となりました。病状、死、性、苦など、応えにくい事について、驚くほど、率直に語ってくれました。




「体が動かなくなるというのはどういう感じか?からだと分離して、からだが鏡のように感じられるのか?」
-鏡というのはいい喩え-

-感情が、景色のように感じられる。
感情失禁がつらい。

「感情が、まわりにいる物が感じる、泣いたり、笑ったりしているように、肉体的現象として顕われるものの他に、私達が感じられない、感情があるけれど、肉体的現象の感情のみを見られて、それを甲谷さんの感情と思われる事がつらいと言う事か?」
そう-
「感情がいわば、層のようになっていると言う事か?
-そう-
「その、層のようになっている感情のいわば、表面の笑ったり、泣いたりする部分を、
違う生き物のように眺めている感じなのか」
-いや、端的に言うと、他人との境目が外れたような感じ-
「それでは、より深い層の感情はどんな感じなのか」
-私の感情ではなく、私たちの感情に近づいていく-
「表面的感情も境目が外れてといったが、それは、私達の感情ではないのか。その違いは」
-海のように、表面は波があり、動いているが、底のほうは静かな感じ。-
3月はじめに、精神的につらいとホームページにあったが、何が辛かったのか」
-やはり、死の問題-
「それは、話す事ができないと言う孤独と言う事も関係あるか」
-まあ、それは副次的な問題で、やはり死と向き合わなければならないと言う事-
「その死は個人的な恐怖のような感じか」
-もちろん、肉体的には個人的だが、全人類の死の感じ-
「周りは、どう感じ、見えるか。例えば、散歩している時、風を感じ、花を見るとき」
-瞬間、瞬間ある物が顕われ、消えて、又あるものがリアルに顕われるような感じ-
「それは、蓄積や、所有と言う事がなくなってきたからそうなのかもしれないね。」
泣く。
「死に向き合うというのは、完璧に無所有になる過程かもね」
   泣く。
「今、一番楽しみは、散歩、マッサージ。・・・」
-いや、人との縁が広がる事-

「色々な人のマッサージを受ける訳だけど、その感触は体の中に残っているの。
-そう-

「あなたは、性的な衝動を感じる事がありますか」
-ほとんどない-
「性的な衝動は、何か違う物に変わったのか」
-愛や慈悲と言うようなものに変わったような感じ-
「それは、性的な衝動とは、まったく違う物と言う感じなのか」
-いいや、それが変容したというかんじ-
「それは、普通性的な衝動は、自然なはけぐちに、流れ、解消されるものだが、
それができない場合、それは、イマジネーションを活性化し、知覚が生き生きとした物に
なるという感じか。
-そう-
「性的な衝動は、善にも、悪にも結びつくと思うが、その分かれ目は何か」
-人はSEXを問題とするが、愛というものを知ろうとしない-

「性的衝動には一種の性急さのようなものがあるけれど、愛にはそれがない」

ALSになって、性的な感覚が変わった、事は、具体的な転機のようなものがあったのか」
-1人の種子の中に、全人類を感じた-
「種子?」
-女-
「以前から、瞑想等をやってきて、そのような体験、認識はある程度あったと思うが、
今は、何が違うのか」
-苦の体験-
「苦というのは、普遍的なもので、人はそれから逃げられないということか」
-そう、甘かった-
「それが、人が、肉体と言うものを持った意味?」
-そう、それが創造-

2006年最初の甲谷さんの個展

2006年2月、病床でパソコンで作製した絵の個展の終わったのちの報告です。ALS
近畿ブロックの冊子にも掲載されました。

「一畳百色」 
甲谷匡賛作品展 ALS(筋萎縮性側索硬化症)の病床から~を終えて
                                          先月の117日~23日の6日間、上記の個展を開くことができました。会場は京都の町屋風の小さなギャラリーですが、会場には、延べ500人以上の方が来場して、ギャラリー会場というより、繁華街のショップのような賑わいでした。これ程の人が来てくれたのには、NHKや地元ラジオ、新聞など、様々なマスメディアが、取り上げてくれた事も大きいのですが、病床の甲谷さんを支える支援者の口コミの力、長年の彼自身の幅広い交友、そして、作品自体の力に起因していたと思います。
甲谷さんは、3年前にALSを発病、1年半ほど前から、転院を繰返しています。「甲谷さんの支援と学びの会」ができたのは、去年の6月の事でした。それまで、私達友人は、時々、お見舞いに行くぐらいで、「なにか、難しそうな病に罹っているようだ」ぐらいにしか、感じられていませんでした。私自身もALSという病名を聞いても、もう一つピンと来なくて、日々病状が進行するのを遠くで見守る事しかできませんでした。
彼は指圧の療術院を開業していて、からだについては、人一倍敏感でした。彼がしているような東洋医学は、西洋医学のように、体を二元論的対象としてとらえるのではなく、関係性としてとらえるので、人のからだを施術するのに、自分自身のからだについて注意深くある事は当然の前提でした。それで、自分自身のからだの異変については、ずいぶん前に気づいていたようです。時々、「最近、どうも疲れやすい」とか、「本当は、僕自身が診てほしいんだけど」などと冗談まじりに洩らしていたのを思い出します。
私と彼との交友の始まりは、17年程前にさかのぼります。私はダンスをしていて、(ジャンルとしては、現代舞踊という事になるでしょうか)生計の為の、ビルの窓拭きのアルバイトで、彼と知り合いました。彼も、指圧の療術はしていましたが、まだ、それのみで食べられなかったのです。お互い「からだ」を見つめる事をしてきた同士なので、親しくなるのは、自然の成行きでした。仕事場で、そしてそれ以外でも、毎日のように、様々な事を話し、討論し、酒を酌み交わしていました。これ以上何も話すことが無いというほどに何回もなることもあるのですが、それでも話していました。お互い妥協できない性格だったのです。  
彼は、ヨガや、武道、又様々な瞑想などにも秀でていて、いつも「からだ」ということを彼の思想性の中心に持っていました。指圧という一種の治療行為も、治す側、治される側という狭い関係性のみではなく、もっと広い関係性を求めていました。最後に話が及ぶのは、社会全体の、私達全員の関係性の病そのものでした。ここまで行くと、ある種の宗教性を帯びてきます。実際彼は、幅広い宗教についての関心がありました。
誤解を恐れずいうならば、これは、例えばオウム真理教等が出てきた背景にも繋がるものがあるかもしれません。彼等も現代の社会全体の病から抜け出したいと願い、その為に自分自身のからだを変容する事を手段としたのですから。しかし、彼は集団性や権威という事には,はっきりと否定的でした。そして、それらに変わって人を結びつける手段として、芸術を考えていたと思います。彼は、私の舞踊についても、いつも客観性を求めていました。それが、私自身の気持ちや表現を超えて、どのような認識に開かれるのか、現代にとってそれがどのような意味を持つのかを、いつも問われました。その事は、今も、私にとって変わらず大事な問いかけとして残っています。
そんな彼が、今ALSという病に罹っています。なにか信じられないという気持ちと同時に、これほどまで、からだに意識的であった甲谷さんが、このように、日々自由が利かなくなるからだと面と向かわなくてはならないとは、運命が与えた、新たな試練なのかとも思ってしまいます。ある未開部族のシャーマンのイ二シエーションで、死体と抱き合って三日三晩地中に埋められるという儀式があるそうですが、彼も同じような試練を通過して、からだに対しての究極の知恵を獲得して、蘇るのかとも夢想してしまいます。
しかし、現実のALSはとても厳しいものがあります。それを最初に「ALS・不動の身体と息する機械」-立岩真也著を読んで初めて知りました。この本には、様々なALSに関する実状、厳しい介護、周りの家族、医療現場と呼吸器の選択の事などが書かれていて、深く考えさせられました。
そこで、私は、私達友人にもできる事はないかと考え、共通の友人に呼びかけました。まずできる事は、支援という大げさなことではなく、遠くで見守っていた輪を少し縮めて、それを甲谷さんが見えるような輪にして、甲谷さんが繋がりを実感してもらえればという事でした。そこで、まずはマッサージをしようという事になりました。からだを動かせず、痒いところもかけないALSの患者にとって、からだをさすってもらい、触れ合うという事がとても重要だと思ったのと、マッサージならば、誰にでも、それなりのやり方で危険なくできると思ったからです。そのような活動を通じて、「甲谷さんの支援と学びの会」が出来上がりました。
しかし考えなければならない事がいくつかありました。一つは、会としてどこまで介護に関わるのかということです。実際、マッサージだけでも良いとしながらも、現実に甲谷さんを目の前にすると、様々な事をするようになってしまいます。それをどこまで、できるのか?個々の判断に任せるべきなのか?会として、判断すべき事なのか?そして、我々の行為が、本人や家族の選択に影響を与えるのではないか?その場合、どこまで責任がもてるのだろうか?次々と難問が浮かんできます。
今、この事は、変わらず、問題としてあり、試行錯誤が続いています。家族でもない者がALSに関わる事は、容易ではない事だと改めて思います。しかし、このようなナイーブな問題を、家族というブラックボックスに丸投げでいいとは思えません。僭越な行為は慎まなければならないとは思いますが、やはり友人は友人として、できる事を模索する事は必要な事だと思います。
現在の甲谷さんの病状は会話不可、四肢・体幹機能ほぼ全廃の状態ですが、精神的には安定しているように感じられます。又時折みせる笑顔はとても輝いていて、私達をほっとさせてくれます。なにより、今の状態を前向きにとらえていて、病床で唯一動かせる左手で、パソコンにより絵を描いたり、日記やメールを書いたりしています。
それで、それらの絵や言葉をもとに、個展の開催となったのですが、これらの絵は、最初、純粋に自分自身の心の不安、葛藤等に向き合い、見つめてきた事の中から生まれたもので、人に観てもらいたい、評価してもらいたいという気持ちから描いたものではありません。その為、いわゆる作家の作風のようなものがなく、個々の作品がそれぞれの趣があり、ある時は不安を、ある時は混乱を、ある時は希望をストレートに表現しています。
今回の個展では、10代から90代まで、様々な年代の方々が観に来られました。そしてたくさんの方がその感動を伝えてくれました。それは、生きることそのものに対しての感動のように感じました。甲谷さんは、ほとんどすべての事を人に頼らなくてはできない状態です。しかし、そのような状態でも、燃えるような生があります。人は人生において、何をしたかよりも、どう在るかがより大事な事だと思います。そのような意味も込めまして、
個展のタイトルを「一畳百色」としました。
 最後にALS協会に御礼を述べさせて下さい。協会から寄贈されたパソコンで、甲谷さんは、絵を書く事ができました。その他、様々な事を教えていただきました。どうも、ありがとうございます。私たちの会は、まず身近な友人の支援からという事で始まっていて、
まだ、協会の活動等には何も、お力になれなくて申し訳ないのですが、これからも、どうぞ宜しくお願いいたします。
                 甲谷さんの支援と学びの会 世話役 由良部正美
             





甲谷さんの言葉

甲谷さんが、ALSを発症し、割と初期の頃に綴っていた文章を纏め、2006年の2月の個展「一畳百色」で、絵と同時に会場で朗読された文章です。




「私」は誰か? who am I ?

実体の無い苦しみに、我執がまとわりつき苦しみは増していく。

 根源の光とひとつになるのだ。それは今ここにおいてすでに実行できるのだ。執着
がその実行を妨げているのだ。

その瞬間を想えば、もう何もすることができないと分かる筈だ。すべてを委ねて、
ただただリラックスしよう。

どこからか風が入ってきている。危機感を煽りすぎてもよくない。

痒いところが掻けないって、かなりの苦痛です。

正に人生は修行やナ。

ゆっくりと病状は進行している。「お変わりないですか?」なんてあいさつする
けど、変わっていく瞬瞬に直面する日々を送っている。

精神的には安定しているが、喋れなくなったことと、フィジカルな面で感情表現が胸の部分でカタルシスとなってブロックをつくっている。なのでたいして悲しくもないのに、大泣きしてしまったりということが時々起こるようになる。

御心のままに  南無阿弥陀仏ある意味、地獄だナ

肉体という苦の花を咲かそう

目に見えてからだが動かなくなるのを体験する日々、さらに死を強く意識することを瞬瞬の課題となる。

 「苦悩は人と人を結びつける。何故なら人は苦悩を避けて生きることはできないの
であり、苦悩こそが他者の視点を得ることに繋がるからだ。苦悩とは最初の恩寵であ
る。」 病気になってからの「気づき」の奥から、この言葉を思い出す。
病気になったコトで学ばされる「気づき」は
大変多い。それまでの日々の数十倍と言っても過言ではない。

偶然などないと古の教えは言います無意味なコトなど無いと無
駄なコトなどないと古の教えは言います。私はこの病気になってそのコトの真実を学んでいる。

アナタ/ワタシ の無意識が、ワタシ/アナタを苦しめる。マダ続くの?モウ イイデズヨ!

タダ生きてるだけ。二度と会えないと覚悟して友を見送る

 これからは帰る場所はもう無いと思って過ごした方が良さそうだ。今こうして病室で丸一日過ごす日々を自分に与えられた場所だと思って生きていくこと。ここでできることは何か? 寝返りが打てず、眠りが断続的になる今日この頃‐‐。

緊張の連続


意識はいつも「今・ここ」

肉体(物質)にとことん下降した自我だからこそ、二元論的(唯物的還元主義的)世界を越えられる特権を手にしているとも言える訳で、その分大変と言えば大変な訳ですが、この時代に生きる我々に架せられた責務じゃないかと思う。
 ぼくの場合は今そのことを病という形で味わっている。苦い味がしますが、最後まで残さず食べつくしたいと思っている。

この病気が私個人の上に起きていることとは思えなくなったのです。正確に言うなら思えなくなったのではなく、「私(だけ)が苦しい」とは感じられなくなったことに寄ります。
 今味わっている苦痛がなんだか「私たちの苦痛」のように感じられるのです。病気になり世界観はどんどん変わっていきましたが、ここにきて更に大きく変わってきた感じがしています。

普遍性(聖なるもの)の探求などといったことには全く関心がなく、ひたすら「私」の快楽の永続を求めて忙しくしている文化…。
 だが普遍なこと(老い、病、死)は確実に、或いは“落雷のように”「私(エゴ)」をヒットする‥。


あぁ..ホンマに苦しくてピアスなんてモンじゃなかった(苦笑..)。胃カメラが入った瞬間、口から串刺しにされたように胴体が数センチ浮いたよ..。☆「く、苦しい~っ!」心の中で叫んでいる内にオペは終わりました。でも痛いのはその後がメインで、数センチ動かしただけで鈍痛がひどく動けない。生まれて初めて座薬を入れてもらって、トイレも行けず尿器でオシッコをしている状態でした(3日めからはトイレになんとか行けるようになりました。看護師さんって偉いですね。心から尊敬します)。
 で、こうした肉体的苦痛は、精神的苦痛とどこが違うのかなぁ?などと考えました。 チベットの言葉には「危険が迫った時にどの程度の修行者であるかがわかる。」という言葉があるそうですが、まったくそれは言えますね(苦笑)。痛みの本当に強い時に、どんな思考が飛び交うかを観ることは自分の力量を見る上で大変役に立ちます。からだが調子いい時に瞑想気分に浸っているのと訳が違って、必死の状態ですることですから嘘がありません。肉体的苦痛の場合にはダイレクトに「今・ここ」での在り方が問われ続けますから(痛みが薄れるまで!)その意味ではとても瞑想的(!)です。「楽しいときには誰でも只楽しんでいる。苦しいときにも只そう在りなさい。」鈴木大拙の言葉を思い出す。

肉体に対する認識は表層的な意味で、ずっとケンコーに生きてきた人には(!)認識し難いものではないかと、今のワタシは考えています。
肉体に捕われ肉体の快感のみにエネルギーを注ぎ込むような生き方をしているようであれば、当然人が肉体をもった意味など認識しようがないと思います。
「弱いが故に強い(からだ)」といいましょうか、そういう身体が心の深い層への認識から立ち上がって来る‥。
実感として今体感しつつあります‐‐。

「あなたが、もしALSになったなら」
皆さんにお聞きしたい質問です。

ニューヨーク大学にあるリハビリステーション研究所の壁に一人の患者さんが
残された詩

大きなことを成し遂げるために、
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いは すべて聞きとどけられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中に言い表せない祈りはすべて
叶えられた
私は 最も豊かに祝福されたのだ
、、、
谷川俊太郎『やさしさは愛じゃない』より-
私のからだを見て下さい。 でもこれが私じゃありません。 私の心を探して下さい。   でもそれが私じゃありません。  苦しみだけが私です、  苦しみだけがほんとです、 遠くに遠くに神さまはいる、お顔はかすんで見えません、  遠くに遠くに神さまがいる、ひっそりひとりで立っている。  
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2011年8月1日月曜日

第4回マンスリーダンスセッション

前回の第3回目のリーラ、なかなか集中した場でした。そこに居た一人一人が自由でありながら、全体の場を呼吸していたように感じ、まさに、私がマンスリーダンスセッションに期待していたものが現れていたと思いました。ゲストの福本卓道さんに感謝です。
やはり、生音は、違いますね。座る姿勢、そこに感じられる、集中力、勢い、間。尺八の音が私達のからだを吹きぬけて、とても贅沢な時間でした。
終わった後の打ち上げは、時節がら、政治話が主になってしまいましたが、それも一興だったかもしれません。


さて、今回のマンスリーダンスセッションは、うって変わって、若手の音楽家の星野圭祐さんを招きました。
星野さんは、第一回目のリーラに来てくれて、少しピアニカで、即興で演奏してくれたのですが、今回は、ゲストとして、本格的に関わっていただこうという事になりました。
実は、ひょんないきさつから、10月に永運院で行われる、染色作家の高橋さん、ダンサーのハイディさん、森美香代さんとのコラボレーションでの、音楽、空間デザインを
担当してもらう事になりました。これも、このリーラの場がもたらしてくれた縁です。このリーラの場が、様々な縁を生み、結ばれる事にもなればと思っています。

2011年6月28日火曜日

第3回マンスリーダンスセッション


毎月の催しですが、一ヶ月というのは、けっこうあっという間に来てしまう物です。ご案内遅れて申し訳ありません。
これから、できれば、毎月ゲストをお呼びして、由良部と白石の世界に新鮮な風を招き入れたいと思っています。
今回、最初のゲストに尺八の福本卓道さんにお願いしました。
卓道さんとは、実は30年以上前、私がある舞踏グループで、踊りを始めたばかりからの知り合いで、長く私の踊りを見守ってくれていました。
卓道さんは、ご自身の音世界を「心音一如」と称し、様々な音楽活動の他、私を含め、様々なソロの踊り手とのコラボレーションを多くしています。
多分、卓道さんは、踊りよりも、からだそのものに感心があるのだと思います。尺八の一音が時に広大な広がりを感じさせるように、からだそのものが絶景の自然であると感じているのだと思います。
私も自分の踊りの道として、「呼吸体」・「虚の身体」という事を言ってきました。それは私達のからだが様々な社会的条件付け、比較を超えて、以下に広大なものと関係しているのかを実感し、示したいと思ってきたからでした。そういう意味で、長年歩んできた私と卓道さんの思いは、同じなのではと思っています。
卓道さんの尺八、白石さんのDJ、私の踊り、そして参加・鑑賞される方で、またまたどんな、新しいリーラの場が生まれるのか楽しみです。

福本卓道さんのホームページhttp://www.d1.dion.ne.jp/~takudoo/

2011年5月24日火曜日

第2回 マンスリーダンスセッション



初回のマンスリーダンスセッションのリーラ、スペースとしては丁度いい20名ほどの方の参加で、様々な一度限りの、接触、衝突、発見、出会い、すれ違い、調和等が見られ、実り多い2時間であったと思います。
初めての試みなので、全体の進行等で、考えなければならない事もありました。ちょっと私自身が踊りすぎたように思い、次回からもっと全体の流れに気配りできたらと思っています。
え〜と、少し私なりの踊りついての思いのようなものを今回は書きたいと思います。
少し我慢して読んでいただければ、幸いです。
例えば、電車などに乗って、人々の顔を見ると、「あー、皆生気のない顔をしているなー」とどうしても思ってしまいます。
電車という空間のせいもあるのでしょうが、みな、とても孤立しているように感じます。
以前、亡くなられた河合隼雄さんが、よく言っていた事に、なぜ、森で暮らすインディオの人々はあんなににも顔が輝いているのか、
それは、例えば、毎日太陽が、無事に昇り、落ちてこないように祈っているからだ、祈る事で、太陽の運行を助け、それと繋がっているという実感があるからだと言っていました。
勿論、私達に、その様な祈りはできません。
祈らなくても、太陽は無事昇り、沈む事を知っているからです。より、分析的にいうと、私達の内面に生まれるイメージ等とは独立した自然の法則がある事を知っているからです。
この、私達の内面とは独立した法則があるという発見、これは、私には、とてつもない事のように思います。
これが、近現代文明の基礎だと思います。純粋に観察者、分析者、測定するもの、コントロールするものとして、私達は自然に対し、人体の知識から、膨張宇宙、核のエネルギー、原発の開発まで、ありとあらゆるところにその知識を広げていきました。
私は、反文明主義者ではありません。どころか、これば、人間にとってとても大きなある種ジャンプであったと思います。
しかし、こう問うのは重要です。「自然を、私達が私達の内面とは独立した自然として見る事は、それ自体限界を含んでいるのではないか、全体として理解する事、見ることを分断し、断片化と、混乱、葛藤、孤立の源ではないのか」と
もし、そうなら、次の真剣な問いが生まれます。「もう一度、私達の内面と、自然とを結びつけるには、どうすればいいのか、単純に、イメージと自然を結びつけるのではない、まったく違うアプローチがあるのではないか」と。
この問い。これは、現代に生きる私達全体にとって、とても真剣な問いだと思います。それは、抽象的な答えで、満足できるものではなく、その問いを文字どうり生きなくてはならない問いだと思います。
さて、私にとって、踊りは、この問いを生きる事の中の一つとしてあります。
踊りは、からだという自然を素材としながら、同時に内からその自然を観るものでもあります。様々な感覚や運動の他に、瞬間、瞬間に、生成・消滅・創造されるイメージの流れがあります。
あらかじめ、頭で考えたイメージではなく、生きたイメージです。真の踊り手は、どんな仔細な動きにも、この生きたイメージを同時に感じ観ています。そして、この内から生まれる生きたイメージを見ている眼と観客の眼が重なっているという実感をもつと、踊る喜びを感じられます。
踊り手のからだは、0.1秒の早さを競うアスリートのからだを求めているのではなく、からだという自然を内から観、そこに生成・消滅・創造されるイメージを空間に開放する事を願っています。
自然ともう一度繋がり、もはや、私が踊っているのではなく、周りの空気や光、様々な森羅万象が踊っている、そんな踊りを願っています。
マンスリーダンスセッションの場をリーラ(神々の遊戯)と名づけたのもその様な、気持ちからでした。
その名に値する踊り、場に少しでも、近づければと思っています。


マンスリーダンスセッション
-みる・きく・おどる どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ-
第2回 6月4日
時間 午後4時〜6時
料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38-23
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部

2011年4月26日火曜日

マンスリーダンスセッション



東日本大震災から40日あまり、途方もないエネルギーの地震、津波、今尚、収まらぬ原発事故。こちら関西は、ほとんど揺れを感じませんでしたが、なにか、私達の生き方そのものが揺すぶられているようにも感じます。


さて、その様な折ですが、5月から毎第一土曜日にスペースALS-Dにてダンスセッションを始めます。
2008年からスペースをオープンして、私自身は日々の稽古の場として使用してきましたが、いわゆる、舞台活動からは、少し離れていました。
しかし、私自身のからだも、このスペースもより開いていきたいと思い始めています。
このダンスセッションは、踊りを見るのも、音楽を聴くのも、自分自身が踊るのもどんな参加も自由な場です。
その中で30分程の即興ソロダンスタイムを私が、音の構成をDJの草分け的存在で、ALS-Dにてヘルパーで働いている白石哲氏がいたします。
この場を私達は、リーラと名づけました。リーラというのは、「神々の遊戯」という意味ですが、なにか、真剣さを伴なう遊びの場をイメージしています。
私達自身や他者、音、空間、身体とまったく新しく出会っていくような、そんな場であればと願っています。
こう言うと、少し敷居が高く感じられるかもしれませんが、気軽で、身の軽い場を作っていくつもりです。
これから、毎月いたしますので、時間の会うときにでもきて頂ければ幸いです。

由良部正美




マンスリーダンスセッション


みる・きく・おどる どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ
第1回 5月7日
時間 午後4時〜6時
料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38-23
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部


DJ
白石哲
80年代後半から原宿モンクベリーズ、CLUBD、第三倉庫等でDJ をする傍ら初期の東京コレクションや原宿コレクション等数々のファッションショーの選曲を手掛け関西に拠点を移してからもDJをする傍らハコのプロデュースやレーベルを手掛けた。そして由良部氏との出会い、甲谷さんとの生活、ALSーDでの舞踏家、演出家の方々からの日々の刺激と共に由良部氏のちょっとした提案から自分も原点にかえってみて楽しく広がりちょっとした味付けになれればと此処ALSーDでの面白い試み!!今回音の直感を楽しみながら皆さんで実験しましょう  それは前衛的であり伝統的でもあり パーカッシブなアフロやJazzが人の揺さぶりであり 能やヨガは張り詰めた指先まで静寂にさせてくれるように 音の流れの中で自由な 動きをしてみましょう。予期せぬ動きがあるように 予期せぬ音やリズムが展開していく中で息づくカラダはきっと楽しく いつもとは違った時間が味わえると思います。






ソロダンスタイム
由良部正美
1982年、舞踏グループ東方夜総会を退会後、ソロダンサー、振付け・演出家として活動を始める。たくさんのダンス作品、コラボレーション作品を発表。2000年ヨーロッパ最大といわれるリヨン・ビエンナーレ・ダンスフェスティバルのオープニングに招待されたのはじめ、メルボルン・ダンスフェスティバル(2002年)、韓国のテジュンとテグでのダンスフェスティバル(2005年)、ポルトガルのSUL-Xダンスフェスティバル(2006年)等海外での招待公演も数多い。又、又舞踏の黎明期を築いてきた笠井叡氏、大野慶人氏を2005年、2006年と招き、ワークショップ・トークセッション・パフォーマンスが一体となった「身体の裏側㈵」「身体の裏側㈼」を企画。古典の新芽シリーズでの文楽・義太夫との共演等その活動は幅広い。又長年舞踏クラスやワークショップを行いながら、他の身体技法や身体観との相対化の中で、新たな舞踏の血脈を辿っている。2008年7月から、京都の西陣にてスペースALS−Dを始動、新たな展開を迎えている。

スペースALS-D
スペースALS-Dは、神経難病ALS(筋萎縮性即索硬化症)患者の甲谷匡賛氏の住居に併設されたスペースです。長年病院を転々とせざるえない生活からエクソダス。たくさんの友人、知人がヘルパーになり、24時間体制で、独居生活を実現。とかく閉じてしまいがちの難病生活を地域へ、表現へと開放する。スペースは京都工芸繊維大学の阪田研の学生、OB・ボランティアによって、全面改築され、グッドデザイン賞を受賞する。