2011年5月24日火曜日

第2回 マンスリーダンスセッション



初回のマンスリーダンスセッションのリーラ、スペースとしては丁度いい20名ほどの方の参加で、様々な一度限りの、接触、衝突、発見、出会い、すれ違い、調和等が見られ、実り多い2時間であったと思います。
初めての試みなので、全体の進行等で、考えなければならない事もありました。ちょっと私自身が踊りすぎたように思い、次回からもっと全体の流れに気配りできたらと思っています。
え〜と、少し私なりの踊りついての思いのようなものを今回は書きたいと思います。
少し我慢して読んでいただければ、幸いです。
例えば、電車などに乗って、人々の顔を見ると、「あー、皆生気のない顔をしているなー」とどうしても思ってしまいます。
電車という空間のせいもあるのでしょうが、みな、とても孤立しているように感じます。
以前、亡くなられた河合隼雄さんが、よく言っていた事に、なぜ、森で暮らすインディオの人々はあんなににも顔が輝いているのか、
それは、例えば、毎日太陽が、無事に昇り、落ちてこないように祈っているからだ、祈る事で、太陽の運行を助け、それと繋がっているという実感があるからだと言っていました。
勿論、私達に、その様な祈りはできません。
祈らなくても、太陽は無事昇り、沈む事を知っているからです。より、分析的にいうと、私達の内面に生まれるイメージ等とは独立した自然の法則がある事を知っているからです。
この、私達の内面とは独立した法則があるという発見、これは、私には、とてつもない事のように思います。
これが、近現代文明の基礎だと思います。純粋に観察者、分析者、測定するもの、コントロールするものとして、私達は自然に対し、人体の知識から、膨張宇宙、核のエネルギー、原発の開発まで、ありとあらゆるところにその知識を広げていきました。
私は、反文明主義者ではありません。どころか、これば、人間にとってとても大きなある種ジャンプであったと思います。
しかし、こう問うのは重要です。「自然を、私達が私達の内面とは独立した自然として見る事は、それ自体限界を含んでいるのではないか、全体として理解する事、見ることを分断し、断片化と、混乱、葛藤、孤立の源ではないのか」と
もし、そうなら、次の真剣な問いが生まれます。「もう一度、私達の内面と、自然とを結びつけるには、どうすればいいのか、単純に、イメージと自然を結びつけるのではない、まったく違うアプローチがあるのではないか」と。
この問い。これは、現代に生きる私達全体にとって、とても真剣な問いだと思います。それは、抽象的な答えで、満足できるものではなく、その問いを文字どうり生きなくてはならない問いだと思います。
さて、私にとって、踊りは、この問いを生きる事の中の一つとしてあります。
踊りは、からだという自然を素材としながら、同時に内からその自然を観るものでもあります。様々な感覚や運動の他に、瞬間、瞬間に、生成・消滅・創造されるイメージの流れがあります。
あらかじめ、頭で考えたイメージではなく、生きたイメージです。真の踊り手は、どんな仔細な動きにも、この生きたイメージを同時に感じ観ています。そして、この内から生まれる生きたイメージを見ている眼と観客の眼が重なっているという実感をもつと、踊る喜びを感じられます。
踊り手のからだは、0.1秒の早さを競うアスリートのからだを求めているのではなく、からだという自然を内から観、そこに生成・消滅・創造されるイメージを空間に開放する事を願っています。
自然ともう一度繋がり、もはや、私が踊っているのではなく、周りの空気や光、様々な森羅万象が踊っている、そんな踊りを願っています。
マンスリーダンスセッションの場をリーラ(神々の遊戯)と名づけたのもその様な、気持ちからでした。
その名に値する踊り、場に少しでも、近づければと思っています。


マンスリーダンスセッション
-みる・きく・おどる どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ-
第2回 6月4日
時間 午後4時〜6時
料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38-23
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部