プロフィール

1982年、舞踏グループ東方夜総会を退会後、ソロダンサー、振付け・演出家として活動を始める。たくさんのダンス作品、コラボレーション作品を発表。2000年ヨーロッパ最大といわれるリヨン・ビエンナーレ・ダンスフェスティバルのオープニングに招待されたのはじめ、メルボルン・ダンスフェスティバル(2002年)、韓国のテジュンとテグでのダンスフェスティバル(2005年)、ポルトガルのSUL-Xダンスフェスティバル(2006年)等海外での招待公演も数多い。又、又舞踏の黎明期を築いてきた笠井叡氏、大野慶人氏を2005年、2006年と招き、ワークショップ・トークセッション・パフォーマンスが一体となった「身体の裏側㈵」「身体の裏側㈼」を企画。古典の新芽シリーズでの文楽・義太夫との共演等その活動は幅広い。又長年舞踏クラスやワークショップを行いながら、他の身体技法や身体観との相対化の中で、新たな舞踏の血脈を辿っている。2008年7月から、京都の西陣にてスペースALS−Dを始動、新たな展開を迎えている。









略歴

1978 中央大学理工学部を、中退し、京都の舞踏グループ「東方夜総会」(後の白虎社)に    入り、舞踏を始める。
    ソウル第3世界演劇祭に、同グループの舞踏手として出演。    
1981 同グループの、「ジャワ・バリダンスキャラバン」に、参加し、インドネシア各地      で、公演に出演し、様々な人々と交流する。
1982 「東方夜総会」を退会する。
    初の、ソロダンス公演「夜をかぎる舞踏会」を京都の大空ライブで踊る。
    ソロダンス公演「赤馬物語」を奈良の平群劇場で踊る。
 「土方巽舞踏行脚」を友人達と企画し、京都、大阪、神戸、金沢、名古屋を巡演。舞  踏の創始者といわれる、土方巽の、人柄、哲学、メッソッドに触れる。
     能、バレー、モダンダンス、舞踏等のジャンルが渾然一体とした、パナサスダンスシアター(ディレクターは、ジョセフ・ハウゼ-ル)に参加。「ミッド・ヘル・スモーク」他の公演に出演。
モダンダンサー、那須シズノとのジョイントリサイタル、「夢の入斜角」を演出、出   
演。(姫路カトリック教会特設舞台。)
京都京大西部講堂における、「追悼土方巽」で、舞台監督。そして、那須シズノと、
追悼の舞踏を踊る。
1991 地唄舞の舞踊家、古澤侑峯とのコラボレーション「KIYOHIME」を、振付、出演。
(東京、青山円形劇場)
   自身のグループ、アート・パースペクティブ・オーケストラを結成し、「転身物語」を公演する。(京都府民ホールアルティ)
   イタリア、フランスの日本大使館の招待で、同大使館ホールにて那須シズノの作品「火の鳥」に出演。
1992 モダンダンサー、森美香代とパフォーマンス・アーティスト、ピーター・ゴラ                    
イトリーとの三人で、「アンビエントダンス」の公演。(京都・MAIJORホール)
1993 滋賀県草津市で、フリースペース天気村のチーフプロヂューサーとなり、ワークショップ、展示、フリーマーケット、コンサート等を企画し、地域と、アートを結ぶ活動に従事する。
天気村を離れ、関西各地で、即興舞踏を精力的に踊る。
俳優、平岡秀幸氏と、舞踏と、語りのコラボレーション「宮沢賢治を宮沢賢治する」を共作し、黒谷のお寺をはじめ、各地で公演。
この頃より、定期的にワークショップを始める。
ノルウエーから来日した演出家、カミーラ・エーグ、ビートリクス、による日、欧、米の混成ユニット作品「オーディンの夢」の、振付、主演を担当。(京大西部講堂)
モダンダンサーでもあり、日舞の名取でもある、ハイディ・S・ダーニングとの共作、「鳥」を発表。(アルティ舞踊フェスチバル)
1回大阪ダンスエクスペリエンスでソロ作品「刻6」を踊る。(トリイホール)
2回大阪ダンスエクスペリエンスでソロ作品「ピエタ」を踊る。
ノルウエーのディレクター、KjetilSkoiennの招待により、彼の作品「The Patient
に出演。(Vestford Festival,Nolway
ノルウエーのダンサー、Kuristin Lotherintonの招待により、彼女の作品「As The Rice Fall」に出演。
京都在住のミュージシャン、エイドリアン・フリードマンとともに、イギリスの、ロンドン、ハーデスフィ-ルド、エヂンバラで、公演、ワークショップを行う。
ソロ作品「KOMACHI」をアルティー舞踊フェスティバルで、発表。
3回大阪ダンスエクスペリエンスで、「ピエタ’97」を踊る。
ソロ公演「ピエタ、小町」を行う。(京都、西陣北座)
4回大阪ダンスエクスペリエンスで「ピエタ98」を踊る。
大阪在住の舞踊家、碓井節子の作品「ニ月の裸樹」に出演の為、ヨルダンのジェラッシュ・フェスティバルに参加。
島根県立美術館の企画で、「オブジェとしての身体」という、舞踏公演とワークショップを行う。
ソロ作品「ファントム」を、アルティー舞踊フェスティバルで、発表。
トリイホールと大阪市の共催による、ダンスボックス特別企画「BODYSCAPE身体と風景をテーマにした、舞踊を軸とした、音楽と美術との新しいコラボレーションの総合演出をつとめる。
フランスのリヨン・ビエンナーレ・ダンスフェスティバルのオープニングに招待され、「KOMACHI」を5ステージ、総観客数5000人の前で、踊る。
三部作「ファントム」を、アートコンプレックス1928で、発表。(共演・黒子さな
え)
京都クリエーターミーティングに参加。「KOMACHI」を踊る。
奈良十念寺寺小屋劇場の本堂を借り、「銀河鉄道の夜・想」というコラボレーションパフォーマンスを、脚本、岸田明 俳優OGGと共に、合計22回公演をする。
2月、オーストラリアでのメルボルン・ボディワーク・フェスティバルに招待され、ソロ作品「ファントム」を踊る。又、ブレスベンにおいて、連続ワークショップをおこなう。
4月~6月奈良十念寺寺小屋劇場セカンドにおいて、「銀河鉄道の夜・想」をアンコール公演。(連続9回)
2ITIアジアダンス会議参加 「ファントム」公演 (京都芸術センター)
4月劇研ダンスセレクションにて、「KOMACHI」をおどる。
大阪さいかくホールにて連続即興公演
2KIMONOシリーズでハイヂィ・ダーニング振付けによるソロ作品を踊る。(大阪ダンスボックスdB
3月 ガムラン、ジャワ舞踊とのコラボレーション「スクウェアー・ガムランに舞う」を踊る。(大阪ダンスボックスdB
2005 「身体の裏側」という、ワークショップ、トークセッション、パフォーマンスが一体となった催しを企画する。舞踏家の笠井叡氏、詩人の河村悟氏と共に講師を務め、公演もする。(京都芸術センター)1月。
   大阪クラブにて、日本の古典の文楽とのコラボレ-ション 「舞踏の源流・文楽」で、人形遣い、義太夫と共演。2
   韓国、太田(Daejeon)のダンス、フェスチィバルに招待され、「KOMACHI」を踊る。
   韓国の振り付け家のKim Yong Chul 氏に招かれ、ソウルダンスフェスティバルの「Reflect on Yourself」の作品に参加。6月
   日本の古典の文楽とのコラボレ-ション 「舞踏の源流・文楽」を東京にて再演。9
   韓国のテグ・ダンス・フェスティバルに招待され、即興公演をする。10
   新作「白い顔」を発表。大阪ロクソドンタ
2006
   ワークショップ、トークセッション、パフォーマンスが一体となった「身体の裏側Ⅱ」を企画。舞踏家の大野慶人氏、詩人の河村氏と共にワ-クショップをナビゲートして、公演をする。大阪精華小劇場。2月。
   フランスのMusse D’art Contemporain De Lyon に招待され、写真家のBlaiseAdilon、ピアニストのThierry Ravassard と共に、12時間連続のパフォーマンスをする。3月。
   フランスのパリのBertin Poiree において、「白い顔」「KOMACHI」を上演。3月。
   インド舞踊家の野中ミキ、ジャワ舞踊家の佐久間新、バリ舞踊家の大西由希子とアジア・ダンス・スクエアというユニットを立ち上げ、初の公演をする。京都永運院。6月。 
   ポルトガルのsul-x インターナショナル コンテンポラリー ダンス フェスティバルに招待され、「KOMACHI」を、リスボン他2都市で踊る。10月

2007
   「アジアの身体 日本の心」において、舞踏・ジャワ舞踊・ガムランの三者のコラボレーションを行う。神戸 XEBECホール 3
   ピアニストの広田裕子、谷川賢作と共に、即興舞踏。高槻現代劇場 7
   「文楽の試みⅡ」で、土方巽テキスト、浄瑠璃 豊竹英太夫、鶴澤清友 により「病める舞姫」を踊る。神戸 XEBECホール 12

2008年 
   長年ボランティアで関わってきた、神経難病ALS患者甲谷匡賛の居住空間とアートスペースを併設した場「スペースALS-D」をダンスプロデューサー志賀玲子と共に立ち上げ(設計:京都工芸繊維大学准教授 阪田弘一)、医療、福祉、アートの融合した場をめざす。その詳細が42日から9日までの連続特集記事として、京都新聞に掲載される。 杮落とし公演で、沢山のダンサー、アーティストがパフォーマンスを披露する。 7
   「ダンスの時間」サマーフェスティバルに、「燃えている手紙のようなからだの願い事」を踊る。ロクソドンタブラック 8