2011年9月27日火曜日

第6回マンスリーダンスセッション


次の土曜日です!! どうぞ、気軽にご参加下さい。
―マンスリーダンスセッション―
みる・きく・おどる どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ
ソロダンスタイム 由良部正美
DJ 白石哲
ゲスト 澤野祥三 (ギタリスト)
時間 午後5時~7時 (以前と時間が変わっています。)
次回は10月1

料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38-23
地図は
http://homepage3.nifty.com/spacealsd/alsmap.pdf
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部
 
先月のリーラ、台風直撃の夜でした。さすがに参加者は少なかったけれど、濃密な場であったと思います。
今年は大震災、津波、台風と本当に天災が多い年です。
勿論、大変な災害ではありますが、一面、天災は、私達の断片化した日常をおくっている意識を一つにし、なにか広大で、計り知れないものを感じさせる契機にもなります。
私達が、自然の一部、否、自然そのものであるという予感に導きます。
私は、本当の危機は、むしろ、日常の連続性の中にあるような気がします。
先日、野田総理が、国連で、原発の海外輸出の継続を発表しました。
いったい、未だ進行中の福島の原発の危機を前にして、どうしてそんな事が言えるのか、本当に不思議です。
しかし、私は、野田総理個人をそれほど非難したいとは思いません。
結局、政治家は、私達一人一人の、日常性の継続に対する要求の中でしか、動けないのかもしれません。
彼自身はその様な要求の中では、真摯な人なのかもしれません。
日清、日露の戦争の成功体験の延長線で、どこまでも、軍事的勝利が続くと思い、戦後の経済成長の中、土地はいつまでも上ると信じて、バブルに突っ込み、何十万年もの間、核廃棄物を処理できない事を知りながら、原発を作り続けてきた私達。
今、考えれば、普通の知性がある人ならば、馬鹿だなと思うことなのに、一級の知性の持ち主達がわからないなんて!
でも、結局は、私達の知性とは、そんなものなのでしょう。
私達の知性は、部分的には、大変な鋭さ、熱心さ、真摯さをもって働くのに、私達の日常を継続しているものに対して、その全体、根底にたいする理解にはほとんど役に立たないようです。
多分、私達の知性そのものが、私達の日常の継続性の道具、否、日常の継続性をまさに作っている当の者なのだからでしょう。
盲点のように、それが、それ自身を見ることができないからなのでしょう。
私には、この日常の連続性の中の危機にはどんな処方箋もないような気がします。
ただ、私たち、一人一人がその危機を見ることによる以外!
いったい何が日々の連続する「わたし」をつくっているのか。
どうして、私達は、断片化した「わたし」の孤立と、闘争の連続なのか。
どんな、できあいの処方箋、知性では解けない問いが私たちに投げかけられているように思います。
 
すみません。また、偉そうな事を言いました。だらけた日々をおくっている私ですが、時々、大変な危機感と、ある種の悲しみのようなものを感じて、
このような事を書きたくなります。
さて、先月のリーラ、各人が各様のあり方をしていました。ある人は、ずっと床に寝転んで、風雨をからだに感じて、床に眼をつけ、空間を覗き込んでいました。
終わった後、その方が、この場は、そのようなことが許されていると感じたからと言っていて、私は嬉しく感じました。
ヤザキさんとのデュエット、迷いもありましたが、時々ピタッと、振付けのようにきまったり、お互いの空気を共有できる時があったりと、楽しく踊れました。
(YOU-TUBUに、この回のリーラの動画を7分ほどアップしました。興味のある方は、マンスリーダンスセッションで、検索を)
そして、今回のリーラですが、ゲストにギタリストの澤野祥三さんを招きました。彼は、「魚雷魚」「したっぱ親分」というバンドで、京都のライブシーンで活躍し、
ココペリのヘルパーでもあり、甲谷さんのサポートにも時々入っています。
実は、彼の音は私は、まだ聞いてないのですが、白石さんや、他の人から、幅広い感性の持ち主と聞いていて、かえって楽しみです。

2011年9月10日土曜日