2012年8月3日金曜日

8月マンスリーダンスセッション


お知らせ遅くなりました。明日の17時からです。


 毎日、体温と変わらぬ猛暑日です。皆様、夏バテされていませんか。
私は、はっきり言ってバテテいます。
身体に熱がこもった感じで、踊りの練習などしていても、エネルギーが周りに放射せず、輪郭がぼやけます。
身体をフロアに投げ出すと、そのまま周りに溶けてしまいそうな感じで、蝉の音、テレビの音、隣の人の声、洗濯機のまわる音、カラスの鳴き声等が前衛的交響楽のように聞かれました。
昨日、琵琶湖の湖岸を車で通りましたが、そんな夏の中でも、田園の緑の瑞瑞しさ、薄青の空の白い雲の輝きには、ハッとさせられました。
あぁ、夏の踊りを踊りたい。オリンピックなどにかまけていないで、あの稲の緑に負けないようなスッキリと立った踊りが踊れたら!蝉のように身体の熱をすっかり入れ替えさせられたら!
遠く遠雷を抱くようにも、様々な夏の記憶を身体に呼び覚ます事ができれば!
明後日のリーラ、会場は空調もなく一台の扇風機のみで、かなり暑くなると思います。私も夏バテしたカラダでのぞみます。皆様もどうか、ありのままのからだでいらしてくれればと思っています。


—マンスリーダンスセッション—
みる、きく、おどる、どんな参加も自由な毎月第一土曜日のリーラ
ソロダンスタイム 由良部正美
DJ 白石哲

時間 8月4日(土曜日)午後5時〜7時(夏時間となり、以前と時間が変わっています。)
料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38−23
地図は
http://homepage3.nifty.com/spacealsd/alsmap.pdf
予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部
20名ほどの定員です。なるべく早くご予約下さい

2012年7月12日木曜日

雪雄子 舞踏「水の巡礼」公演案内


Mapt.残雪、青空。風が吹いていた。水のような空の彼方から白鳥の声が響きわたる。´白鳥が帰るよー′気高く、白い、v字型の風の姿。哀しみが空の彼方から伝わって来る。縮こまっていた冬の身体に沁みわたるような春の声がー、コウコウコウコウ……200、300、と。雪雄子舞踏「水の巡礼」




来週の、19日(木)に、スペースALS-Dで、雪雄子さんの「水の巡礼」という公演があります。
雪雄子さんは、私がある舞踏集団で舞踏を始めた頃、すでに、土方巽の直系の北方舞踏派で、その名がしれていた舞姫の1人でした。その雪雄子さんから、スペースALS-Dで、公演したい旨の連絡をいただき、懐かしいその名の記憶とともに、不思議な縁のめぐり合わせのようなものを感じました。
舞踏そのものが、カラダをめぐる巡礼のようなものかもしれません。その長い巡礼の中で、再び、お会いできる事を私自身楽しみにしていますし、どのような旅を続けてこられたのか大変興味があります。
平日の夜ですが、お時間があれば、是非足をはこんでいただければ、幸いです。


雪雄子公演 「水の巡礼」
舞踏 雪雄子  コントラバス 松本陽子


場所 スペースALS-D
日 7月19日(木曜日)18時30分開演(会場は15分前)
料金 予約 2500円 当日3000円
予約・問合せ yurayura5@nike.eonet.ne.jp 090-5155-3543 (由良部)


2012年7月7日土曜日

7月マンスリーダンスセッション


7月は10日(火)です。(今月は、第一土曜日から変更になりました。)
改めて振り返る事もないのですが、踊りを始めて、30年以上が経っていますが、実は、10年ほど前から、葬礼の場でのダンスを踊りたいとずっと思っていました。
「送り人」という映画や、「千の風になって」などの歌が流行りましたが、現代にとって、葬儀、葬礼を考える事は、決定的に大事な事なのではないかと、私は思っています。
ある、考古学者、文化人類学の考えでは、人間の発祥の痕跡を、死者を葬る行為に見ています。
死は、私たちにとって、永遠の未知です。死は、私たちの運命で唯一確実なものなのに、どのような知識によってもとらえられた事がありません。
人の「知る」という欲望は果てしなく続きますが、一度もそれは知られたことがありません。
死は、私達にとって、悲しみ、嘆き、恐怖であります。親しい人との永遠の別離の悲しみ、そして、私自身の死の恐怖。
しかし、私達は死を知りません。どうして、知らないことを恐れることできるでしょうか.。
実は、私達は死を恐れているのではなく、未知を恐れているのではないでしょうか。
私は、臆病者で、自分が不治の病に侵されたわけでもないのに、何度も死の恐怖に執りつかれ、夜中に叫び声をあげるほどでした。
何度も何度も、避ける事ができない死の恐怖が襲ってくる事で、その恐怖の源のようなものに触れたように思います。
それは、たとえていえば、真っ暗闇の海原にただ1人取り残され、永遠に浮かんでいるような恐怖です。
海原は、永遠の未知です。
では、この海に浮かんでいるこの私とはなんでしょう。それは、怖がっている私です。自分が永続してほしいと思っている自分。
未知の海原と対立している既知の自分です。
このような、未知に対する恐怖から、大げさですがあるビジョンのようなものが顕れました。
—この真っ暗闇の海原を、肌が黄金色に輝き悠々と泳いでいる人がいる。その表情は定かではないが、太古の人のようにも、はるか未来の人のようにも見える。
その人は、私に何かの合図を送っているようでもあり、まったく私に無関心でもあるようでもある。—
今まで、葬儀、葬礼は、共同体の中の伝統的様式の中で行われてきました。しかしこれだけ、共同体的なものや、伝統的なものが壊れていくと、その実質は空虚なものになりつつあります。
私は、この葬儀、葬礼の中心に、伝統的知識、儀礼ではなく、カラダをおく事ができないかと思っています。
カラダは、私たち1人1人にとって、最も身近なものですが、最も謎なものです。私達は、ふだん、このカラダを既知なものとして扱っていますが、死は、そのカラダが本来の未知のものに
帰るものだとも言えると思います。未知という事は、不可知という事とは微妙に違います。不可知というのは既知と対立しています。未知は、むしろ既知を包み既知をも未知にしてしまうのです。
カラダというものは、本当に不思議です。カラダは宇宙の一点の小さなもののように見えますが、カラダが宇宙をつつんでいるようにも感じます。包まれているものが包んでいるような、そのように、どのような既知のイメージではとらえられないものです。私にとって、舞踏とは、このメビウスの輪のように折りたたまれたカラダを開いていくことです。それは、カラダを既知のものから、未知の壮大で、途方もない風景のようなものに開放する事です。そのような舞踏を踊る為には、技術を超えた技術が必要です。なぜなら、普通技術は、未知なものを既知にしていく運動だからです。。
私にそのような踊りができるのか。葬儀、葬礼の場という厳粛な場で、踊る力があるのか、正直とてもこころもとないです。
しかし、もし私に踊りに対する情熱の尽きることのない源があるとすれば、そこらへんにあると思います。
今「ここにある彼岸・新しい葬礼の舞のために」というDVDを作っています。半分以上を撮り終えたところですが、できあがりましたら、皆様に是非いていただきたいです。
今月のリーラのソロダンスでも、少し披露したいと思っています。



—マンスリーダンスセッション—
みる・きく・おどる どんな参加も自由なリーラ
ソロダンスタイム 由良部正美
DJ 白石哲
時間 午後5時〜7時 (夏時間です)
日  7月10日(火曜日)
料金 予約1500円 当日2000円
場所 スペースALS-D 京都市北区紫野南舟岡町38−23

予約 yurayura5@nike.eonet.ne.jp  090-5155-3543 由良部